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磯部 潔

静岡赤十字病院 院長

代々が医者の家系に育ちました。

─医師の道を選んだのは?

 「ガイコツの標本、何に使うのかよく分からない医療機器…。5代続いてきた医師の家系に生まれた私の遊び場は、病棟と住居が一緒になった病院でした。祖父や祖母、そして父も白衣姿というのが日常の中で、誰に言われるまでもなく、父と同じ外科医にと決めていました。家系だけが理由ではありません。診察に来る人たちが父に感謝をしてくれていて、それが誇らしかったし、なにより手先の器用さには自信があったからです。外来の人の処置は見慣れていましたが、怪我を縫い合わせる父の姿を横目で見ながら、『僕の方が上手にできる』と思っていたくらいですから…。多少、自信過剰だったかもしれませんね。 
 ただ、良いところばかりを見ていたわけではありません。今も多くの開業医がそうであるように、私の家の生活には、住居と病院の区切りがありませんでした。時間を問わず苦しんでいる人と向きあっているから感謝をいただけるんですが、プライベートを後回しにして患者さんを診る父の姿に、多少の抵抗を感じていました」。

 小さいときから医師の一部始終を見つめ、そして、同じ道を目ざしました。

最初の頃は、這いずり回っていました。

─医師としての最初の体験は?

 「初めて手術に入った時のことです。心臓の術中に心筋梗塞が起き、術後の心臓機能の回復が悪くて呼吸器管理になった。もちろん看護師さんたちも診てくれるのですが、手が足りない。そんな時に若手の医師ができることといったら、患者さんのベッド脇に座って管理の番をするくらいなものです。私ともう一人がペアで、昼は手術室に入るなどの仕事をしながら、夜は交代で15分おきに去痰という日が40日ほど続きました。あの時は、いつ寝たのか、いつ食べたのかの意識がないくらいで、肉体的に過酷でしたし精神的な重圧もすごかった。大変な仕事だと改めて思いました」。

 発揮する力を持たない当初は、医療現場で這いずり回っていたと言います。

予定外が起こらない。すばらしい手術は計画通りに進みます。

─発揮すべきものを見つけたのは、いつ?

  「当時、慶應大学では3例目という心臓の冠動脈バイパス手術があり、それに立ち合ったことです。執刀医は米国の医師でしたが、そのスピードに驚かされました。開胸や閉胸は別の人が行っていましたが、新しい血管をつなげるのにかかった時間はわずか15分程度。欧米では、その当時すでに、吻合(ふんごう)なら吻合だけというように、特化したスペシャリストが手術をするようになっていたのです。経験値を積み上げ、スキルを伸ばすことができる。日本の医療にそのスタイルがフィットするのかは別として、とても合理的だと思いましたし、手術の技術を磨くことの重要さを感じました。その後、国立がんセンターや大塚(※現在は有明)のがん研などに、機会があるごとに手術を見にいきました。

 がんを1万例以上手がけたという著名な先生の手術も見させていただきましたが、すばらしい手術には共通するものがあります。それは、予定外のことが起こらないということです。慌てることもなく、一連の手ほどきが流れるように進んでいく。予定した時間の±5分内で、手術は終了となります。傍目には簡単そうに見えますが、それは確かなスキルに裏打ちされているからこそできること。職人さんの中で、達人、匠と呼ばれる方にも共通しているのでしょうが、技術を極めるということは、そういうことなのだと思います」。

 身につけるべきものを見つけ出し、トップレベルの技術を目ざして進み始めます。

過不足のない手術を目ざして、自分を研鑽していただきたい。

─メスを手にしてきた経験を通して、伝えるとしたら?

 「後進の先生たちには、『過不足のない手術』を心がけてもらいたいと考えています。手術の際には手術適応という一定の基準があり、『適応があれば手術をする方向で』、逆に『適応がなければ手術はしてはいけない』」というのが一般的です。しかし考えることもなく、このルールに沿って建前的な手術をするのには賛同できません。なぜなら、ルールというのは遅れて作られるもので、それが明文化されるまでには5年、10年と長い年月を必要とするからです。
 例えば、乳腺の温存手術で考えてみましょう。長い間、乳がん手術では疑わしきものは全部切除という方法がとられてきました。その後、早期乳がんに関しては温存しても治療成績に差がないことが米国の研究により発表されました。しかし日本では、この発表は受け入れなかった。むしろ大ブーイングでした。その批判的だった先生方が『温存だ』と言い出したのは、それからわずか10年ほどのことでした。
 研究や技術の進歩により、手術のあり方も変わっていきます。『今までどおりのルールに沿っていれば良し』という考えでは、医師として前に進めないと思います。もちろん、だからといってリスクの非常に高い手術が許されるわけではありません。要は、足りなくても、過ぎてもいけないということ。研鑽を積む中で、的確な判断のもとに、今、その瞬間に求められる最適な手術を心がけていただきたいと思います」。

 医師として、純粋で的確な判断を磨くことが重要だということでしょう。

『名医より、良医を目ざしてください』とお願いしています。

─院長になって4年目を迎えます。

 「患者さんを管理するのが、医師としての私の勤めでした。それが院長になって、病院全体を思うことに変わりました。そして院長という役割は、一人で孤軍奮闘してなんとかなるものではないのです。ここにいる多くの人に気持ちよく働いてもらうこと、そして周りの人に動いてもらうことの大切さを、今、強く感じています。
 この観点を持てたことで、人として少し成長できたかなと思うのと同時に、後進の先生たちに、もうひとつ考えていただきたいことができました。それは、人間に対するスタンスのあり方です。私は、小さいときから合理的なものを尊重して生きてきたところがあります。だからなのか、以前は『もし自分が患者だったら、性格が悪くても腕のいい医者に担当してもらいたい』と思っていました。しかし、その考えは変わりました。今は、『性格がいい医者に担当してもらいたい』と思うようになったのです。そうなってからの私は、病院の先生たちに『名医より、良医を目ざしてください』とお願いしています。全員が名医になれるとは限りませんが、患者さんの立場に立って耳を傾け分かりやすく説明する良医になら、心がけでなることができます。その上で専門性のスキルを磨いていっていただきたい。無理な注文ではないと思っています」。

 無理な注文どころか、経験を経たうえでの正しい導きだと思います。

救急医療など得意分野を伸ばし、社会に貢献できる病院であることを 目指します。

─今後、病院をどのような方向に進めていくのでしょうか?

 「今後、得意な分野、強い部分を伸ばしていこうと考えています。現在、評判をいただいているひとつに救急医療があり、救急車の応需率は市内の救急指令センターのトップで、開業医の先生や地域の方々から『対応がいい』と言っていただけ、とても嬉しく感じています。救急で来られる患者さんの8~9割は、本当は病院に来るほどではありません。しかし、体調の変化から不安になって来られるわけです。そんな患者さんに対し、日頃お願いしているように『自分が患者の立場だったら』という先生方の対応がなされるとしたら、この評判はさらに高いものになると信じています。
 そんな救急医療は、この秋の新病院完成により、救急外来は現在の1・7倍、救急病棟は3倍の面積に拡充しました。救急患者専用の出入り口の設置により、救急車の受け入れは今まで以上にスムーズです。ほかにも、新病院には、周産期医療の充実のために急な出産にも対応できる分娩室を整備したほか、脳卒中、心血管外科、脊椎外科、慢性腎臓病、血液・骨髄移植治療、各種がん治療、そして健診事業を充実させていく予定です。
 人材確保や財政面など、今日、病院は厳しい状況に置かれています。しかし私たち病院には、赤十字の「奉仕の精神」という高い志があります。その博愛精神の心を持った全員がひとつになり、地域の人たちから信頼される病院、社会に貢献できる病院であることを目指していきます」。

先生の名刺に『人間を救うのは、人間だ』とあります。この病院は、赤十字の創始者・アンリー・デュナンの精神です。

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現在の趣味は、ゴルフとレーシングカートだそうです。レースドクターを20年近く引き受けていた時期もあり、アイルトン・セナが来日した折りもレース場にいたとのこと。醍醐味を聞いたら「すべての情報をインプットして自らの技術でコントロール。過不足のない操作で、最大限の効果を得ること」だそうです。手術の話と重なります。