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井上 有史

独立行政法人 国立病院機構
静岡てんかん・神経医療センター 院長

はっきり分からない精神医学に 魅力を感じました。

─精神科を専門にされたのはどうしてでしょう?

「大学病院に入るときに、2つの選択肢がありました。その一つは脳外科です。当時の外科は、医学分野の中では特段に華やかに感じでした。中でも脳外科は、出来たばかりでしたが、これから先への期待も大きく、脚光が集まっていた感じでしたね。
もう一つが、この精神医療の分野です。こちらの領分は、日々さまざまな事実が解明されていく医学分野にあって、他の科とは少し様子が違っていました。私の大学は、笠原 嘉(かさはら みよし)先生や木村 敏(きむら びん)先生など、日本の精神病理学第2世代の顔とも言える医師を排出していましたが、それでもまだ精神医療は、『医学ですか?心理学ですか?それとも哲学なのでしょうか?』という部分が残っていて、当時は、まだまだ分かりにくい分野でした。このふたつから、どちらを選んだのかはご覧の通りです」。

 井上先生の選択は、切った貼ったの脳外科への道ではありませんでした。はっきり分からないながらも、自分なりの答えで治療に導いていく精神医療に、おもしろみを見たようです。

脳波計などで、少しずつ 手がかりが増えていきました。

─最初は、どのような治療を?

「診断マニュアルができ、病気の判断基準が明確にされたのは、精神科医になって数年後のことです。その以前は、どこからが病気なのかな?という感じで、医師たちが患者と向かい合う中で、いろいろなことを考えながら治療していました。私が初めて患者さんを担当したときも、一緒に散歩やキャッチボールをしながら、病気を含めその人のすべてを理解しようとすることからスタートしたことを覚えています。この人は何を考えているのだろう?今、どんなことに困っているのかな?など、いろいろなことを思いながら、その人に対して自分にできることの答え探しをしているような毎日でした。多くの病気の場合、血液検査などさまざまな検査から分かることがありますが、この分野においては検査で分かることはありません。患者さんの表情や動作、話すことなどの情報を組み合わせて判断し、精神療法としてのコミュニケーションをとったり、薬物療法を試みたりするのです。
もちろん、まったくの手探りではありません。1950年代には脳波計が使われるようになり、脳の働き方が徐々に分かるようになっていました。私には、脳機能の研究が進めば精神病理の解明にも貢献するという思いがあり、それが精神科を続けた理由の一つでもありました。実際、この脳波計は、てんかんの診断には特に大きな役割を果たしてくれています。また、1970年代にはCT(コンピュータ断層撮影)が出てきて、脳の中が鮮明に分かるようになり、脳のカタチの異常とか腫瘍の有無などを検査できるようになった。その後にはMRI(磁気共鳴画像)が誕生し、今では脳の働きを画像化できる機能的MRIというものまであります。それでも、まだ未知のところは、すいぶん残されていますけどね」。

医療研究の蓄積や技術の進歩もあり、「よく分からないな~」と感じていたことに、少しずつ手がかりとなるものが増えていったと言います。

てんかんは100人に1人が罹る、よくある脳の病気です。

─精神科の中でも、てんかんを専門としていますね。

「せっかくですから、この機会に、てんかんという病気について多くの方に理解を深めていただけたらと思います。
てんかんは脳神経系の病気で、人種や性別に関係なく発症する病気です。昔は子供たちの割合が多かったのですが、高齢化に伴い今では高齢者の病気になってきています。
どのような症状が出るのかを、分かりやすくお話ししましょう。多くの人は、自分の思い通りに手を動かすことができます。どうしてできるのかと言うと、脳の細胞が、そうするように命令を出しているからです。この命令が意図していないのに出たとしたら、どうでしょう?命令が出ている以上は、動かしたくなくても手は動いてしまいます。このように大脳の神経細胞が、勝手に活動命令を出すことで起こるのが『てんかん発作』です。この発作を何度も繰り返してしまうのが『てんかん』という病気の正体で、約100人に1人、日本全体で約100万人の患者さんがいます。特別な病気に思っていたかもしれませんが、ごくありふれた脳神経系の病気です。
原因はさまざまですが、脳に何らかの障害が起きたり、脳の一部に傷がついたことが原因となる事が分かっています。たとえば、出生時に脳に傷がついたり、低酸素だったりした場合です。あるいは脳の血管障害(出血や梗塞など)、外傷、感染症、アルツハイマー病などが原因で脳に損傷を受けた場合などです。しかし、これらのように原因が明らかにできるのは全体の半分ほどで、残り半分は検査をしても異常がみつからず、原因不明とされます。まだ未知の部分に隠れている原因がありますが、遺伝子など今後の研究で明らかにされていくと思っています」。

100人に1人が罹る、よくある脳の病気。なのに、現場で感じる『てんかん』という病気への偏見。これをなんとかなくしたいと考えています。

患者さんとの会話の中で、 脳が見えてきます。

─てんかん治療で興味深い点は?

「てんかんの治療をすすめていくと、患者さんの脳が次第に見えてくるんです。先ほど話したように、脳の細胞が過剰に活動してしまうことで『てんかん発作』が起こるわけですが、その発作の源が脳のどこにあるのかによって、発作の症状が異なります。ですから、患者さんに発作時の話の詳細を聞いていくと、発作の源の場所が推測できるのです。例えば、発作のときに『ゴーン』という耳鳴りがしたり音楽が聞こえたというような場合は、聴覚に関係した箇所が考えられるわけです。複雑な脳の働を巻き込んで起こりますから、言うほど単純ではありませんが、丁寧に話を聞いていくと、だんだんと状況が見えてくる。脳が見えてくると言うことは、そういうことです。その推理を手がかりに、脳波やCT、MRIなどで実際に検査をします。今では、70~80%の人が薬物治療により発作が消えていきますし、発作の源になっている部分を切除して治すこともあります」。

静岡てんかん・神経医療センターのてんかん診療では、薬物治療や外科治療を始め、身体および心身的なリハビリテーションまで、幅広く行っています。

包括医療で、 てんかん克服を目ざしています。

─日本で最初のてんかんセンターですね。

「この病院は、平成13年10月に歴史ある2つの病院が統合し、平成16年4月に独立行政法人国立病院機構 静岡てんかん・神経医療センターと名称変更しています。てんかんセンターの設立は昭和50年で、我が国で初めてのセンターとして、全国のてんかん診療やリハビリテーションの先駆けとしての役割を果たしてきました。
設立当初からずっと継続してきたことが、包括医療です。医師や看護師だけではなく、薬剤師から作業療法士、理学療法士、言語聴覚士、神経心理士、ソーシャルワーカー、児童指導員そして保育士に至るまで、いろいろなスタッフを抱えて、てんかんという病気にチーム医療として包括的に取り組もうというものです。診断や狭義の治療にとどまらず、他科による治療やリハビリテーション、さらに適切な情報提供や患者さんへの教育まで、多様な人材がチームとして関わっていくことは、とても大切なことだと思います。今や全国で32のてんかんセンターを数えるまでになりましたが、この設立の志は、すべてのセンターでこれからも推進していただきたいと考えています。
また昨年の2015年から、厚生労働省が『てんかん地域診療連携体制整備事業』をスタートさせました。静岡をはじめ全国8つの県で始まりましたが、当院は、静岡県のてんかん診療拠点機関に指定されています。各医療機関との連携や支援、県内福祉・教育などの関連機関との連携、患者さんやそのご家族への支援やてんかんに関する啓発…。この事業の目的とするところは多岐にわたりますが、私たちが40年前から願っていたことでしたので、とても嬉しく思っています」。

       ◆

井上先生は、今、とてもおもしろいプロジェクトに関与しています。『ベーテル麻機』構想といい、高齢者や障害者、病気のあるこどもや人たちが自立や共生、そして協働できるまちづくりを、この病院のある麻機遊水地で展開しようというものです。

「ここ麻機の周辺には、県立こども病院や当院など8つの医療機関があります。また、教育機関としては幼稚園、小学校から短大まで、そして特別支援学校も2校、ほかにも高齢者や障がい者施設、就労施設など、医療・教育・福祉施設が集まっています。アクセスも新東名の完成などで申し分ありませんし、流通センターという雇用を支える施設もあります。この特徴を活かして、この地が地方創生の場となればと考えています。この構想は、静岡県立こども病院の瀬戸先生との連名で、すでに県議会へもお伝えしてあります。ベーテルというのは、私が留学したドイツにある世界最大規模の医療・福祉エリアの名前で、そこでは、てんかんなどの障がいのある人々が医療とケアを受けながら自立した生活を営んでいます。当院とも深い繋がりのある施設ですが、そこにならって、住民と障がいのある人が一体となった街づくりができたらと考えています」。

医師らしい視点からの発想で、とても素敵です。行政の方々にも積極的に動いていただき、ぜひ実現していただきたいと思います。